かつてスピリチュアルに初めて触れたころ、目新しいものに触れられるのが嬉しくて、ヒーリングをしてもらったり、何かの理論を学んだり、能力開発を学んだりしていました。
しかし!根本的に重要なことに気づけなかったので、趣味の延長になっていて、学びが人生を変えるものにはなってませんでした。
せっかく時間を使って学んで楽しいとも思えるのに人生は変わらず、同じように家族の愚痴を聞き、友だちとグダグダお出かけし、なんとなーくアルバイトをする日常でした。※大学生の頃なのでアルバイトでした。
大学生だった自分はスピリチュアルを先に学ぶ大人の話を聞くと「大人って苦労が多くて大変だなあ、でも社会人じゃないから分からないし関係ないや」と思ってました。
お世話になったヒーラーさんやスピリチュアルな先生も「まだ大学生だから関係ないよね」という感じ。
でも本当は学校の先生が嫌いだったりして、好きじゃない大学に通い続けていたのです。
「好きじゃないのに周りがやってるから続ける」が社会に出ると「好きじゃないのに生計のためにお金を稼ぐ」という行動にシフトします。この概念に縛られていることを誰も見抜いてくれませんでしたし、当たり前のことだと思ってました。
この根本的な事実を抜いてスピリチュアルを学んでも、結局は生計のために時間とエネルギーを切り売りする人生からは抜け出せません。
今思い返せば、関わった方達はどこか教祖のように教え込んで学ぶ人の悪口を言っていたり、あるいは教祖から教えてもらった生徒は教祖の愚痴をこぼしたりしていました。
たとえ扱う内容がスピリチュアルであっても、誰かと誰かが敵対している構造は変わりなく、その中でどっちが強いか比べて、強い人が上に立っていた訳です。
学校教育に馴染んでるので、毎日トレーニングをしたら褒められるし、ヒーリングで感じたことをシェアすると「田中さんほど分かる人はいませんでした」と言われたりして、高評価されることにぬか喜びしている自分がいました。
ニューエイジャーだったんです。「全てのものに意味があって完璧」と言ってることはスピリチュアルなので周りの人と違って一風変わっているけれど、人生はまったく常識に囚われていました。
成長している気がするけれど、実は閉ざされた水槽の中を泳いでいただけで、広い海を知らなかったのです。だからどれだけヒーリングをしたりスピリチュアルを学んでも本当の進化や成長はなかったのです。
誰が偉くて劣っているか、宇宙ではそんな階級は全くありません。太陽が誰かには多く光を与え、誰かには少なく与えるなんてないですよね。
優劣は人間の決めたルールの中だけにあるもの。そんなルールの中で偉くなったりしても、吹けば飛んでしまうステータスでしかない。僕たちってそんな小っぽけなもののために生きてる訳じゃないんですね。
宇宙での事実は誰も偉くないし、誰も劣ってない。この宇宙では誰もが主役で世界の中心に立っています。
誰かに褒められたり、けなされたりしても、誰もが主役という事実は変わりません。
この普遍的な事実を受け入れることで初めて深い癒しが起きます。繰り返す問題が根こそぎ絶たれ始めます。誰に理解されなくても認められなくてもいいって思えます。
これでやっと自分の人生を生きられます。
私たちを喜びで満たす光と、神秘的な知識をたくさん受け取り、そこに優劣はない。この精妙な違いの理解がイニシエーションの道を歩む事で波動が高まりどんどん分かるようになりました。
どれだけ外側に答えを求めても何も見つかりません。内側に求めても間違った知識が学校教育などでインプットされていたら正しく判断できません。
光と知識を受け取ることで初めてネガティブな自分の封印が解けて、自由な人生を生きられます。
形を変えて繰り返す問題を乗り越え、喜びのある人生を生きるために!光と知識を正しく受け取れる「アデプトプログラム」が本当におすすめです!