瞑想に慣れてきた人は、徐々に自分の関心の向くことについて瞑想し始めることと思います。
日常的なことについての瞑想はもちろん、今の自分の現実を超えたスピリチュアルなことについて瞑想することもあるでしょう。
一口にスピリチュアルと言っても様々ですが、なんといっても有名なのは神様ではないでしょうか。
受験の前やビジネスの発展にも、しばしば神様に祈願を捧げるので、意外と身近な存在なのかもしれません。
幻想を見る人もいるそうですが、神様について瞑想する時に必要な事前知識があります。
神様を瞑想の対象にすると見えてくるもの
まず初めにお伝えしますが、瞑想は安全な場所で行いましょう。
特に神様について瞑想するとなるとスピリチュアルな要素が強くなります。
インターネットを見ていると、瞑想をしている時に幻が見えたら注意しましょう、という内容をたまに見かけます。
確かにそれが良いことなのか悪いことなのかの判断は難しいのです。
でも、時には本物と出会うこともあるでしょう。
一つ体験談をお話すると、「木花咲耶姫」という神様について瞑想をしていた時でした。
当時その名前を知っていただけで詳しくは何も知りませんが、見えてきたのは富士山ときれいな水と満開の桜。
後から調べてみると、富士山の浅間神社に祀られており、水の神様であり、桜と縁があったのです。
それが何を意味するかというと、人の意識と繋がっているのです。
神様の瞑想は意識とつながる。
神様にはある種の徳が備わっていて、その徳は私達の意識の中にも同じように備わっています。
顕著にその徳を開花させた神様と瞑想で繋がることで、自分の中にあるそのような徳を花開かせていくことへと繋がります。
その結果、木花咲耶姫の持つ徳の一部が活発になったのです。
簡単に言うとご利益を頂いた、ということになります。
でもこれは初めから個人的なご利益目当てでは上手くいかないようなのです。
個人的な利益目当てで開花させる徳と、神様が持つ徳とは次元が異なりますよね。
個人的な繁栄に対して、日本に住む人の繁栄を目的とする違いがあります。
どちらを応援するかというと、やはり後者でしょう。
その延長線上に、個人的な反映があるのには全く差し支えありません。
神様と瞑想で接する時は、闇雲に何かが見えたら間違いということではなく、清く正しい心構えと冷静な判断が必要になるのです。
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