カバラにおける第27番目の小径(パス)は、ネツァクとホドを結ぶパス。
宇宙に働く論理であるホド(栄光)と、命を吹き込むパワーのネツァク(勝利)とのバランスが取られると、なぜ”聖なる結婚”のようなことが起きるのか、パートナーシップから見ていきたいと思います。
目次
聖なる結婚=ネツァクとホドのリコネクション!
単に”結婚”というと婚姻制度に基づく関係性だけれど、法律というルールを取っ払って、人間が本来するべき結婚はというと、聖なる結婚なのですね。”聖なる”なんてつくと、ちょっと仰々しいけれど。
ネツァクとホドは、ざっくりと言うとこんな感じです。
ホド=森羅万象を動かす宇宙の論理性
この二つのバランスが自分の中で取れると、それに相応しいパートナーが現実的に登場するのです!今付き合ってる人がいれば、その人がどんどん変わっていったりすることも。
自分の内側が整うと、外側も変化していくなんて不思議ですけど、スピリチュアルを現実に使っていくと、そういう変化が自然と起きてくるのです。婚活をしたり出会いを探すのも大切だけれど、外側だけ変えようとすると同じようなことの連続に。内側が変わると外側も変わってきます。
ではそのバランスはどうやって取られていくかというと。。
バランスの取り方
二つの状態を良いコンディションにする事だと思います。パートナーシップでのホドとネツァクはこんな感じ。
ネツァク:パートナーシップへの欲求を受け入れる事
パートナーシップに関する欲求を受け入れよう
パートナーシップに関する欲求は、愛を受け取り、愛を与えたいという根源的な願望。誰もが持っている気持ちなのですけれど、常識というフィルターがかかると我慢してしまうこともあります。
こういう条件の時は愛していいけれど、こういう条件の時は愛しちゃいけない、とか。相手が結婚していたらその人を愛しちゃいけないとか。年齢や性別が違ったら駄目だとか。
そういった条件付けを取っ払う事で、パートナーシップに関する欲求は満たされていきます。
パートナーシップに関する法則を知ろう
パートナーシップで交わされる愛について知ることがポイントになります。
愛は定義されることを嫌います。ある時は束縛されることで流れる愛もあれば、束縛しないことで流れる愛もあります。
結婚制度という法律によって束縛することもあれば、独占欲による束縛もあります。「その人は私だけのもの」なんて言ってみたり。でも、人は所有できませんから、それじゃ愛が逃げていきます。
その時その時によって変化する愛の表現方法の裏側に、永遠普遍に働いている法則を知ることで、自分にぴったりの愛が手に入る流れが生まれるのですね。
2つのセフィラーに関して
ホド、ネツァクに関してはそれぞれのページでまとめています。
ホドは親しみやすいかも。正確に構成された小さなコンピュータがあるから、スマホが動いたりして身近にあるから。コンセントにプラグを挿せば電気という貴重なエネルギーが取り出せるのも本当にすごい!精巧な科学技術はホドの領域。すごく機械的。
一方、ネツァクは分かりづらい。頭で分かるところじゃないから。命を吹き込む生命力やバイタリティ。人間の本能と関わるところ。
ネツァクの頭で理解できないことを、ホドで知識として分かる形に変換していくこと。反対に、ホドで分かった形を通じて、形の無い感性に手を伸ばしていくことで、ネツァクとホドがちゃんと繋がって、聖なる結婚の準備がスタートされていくのですね。
詳細は各ページへ!
- ホド(準備中)
- ネツァク
すべてを愛するから”聖なる”結婚になる
愛の名のもとにパートナーシップを築くから”聖なる結婚”と言えるものになります。愛でないものを基盤にして築いたパートナーシップは、言葉はキツイのですけれど”取引”という印象の関係性かな。
人と愛し合う時、その人の全部を愛し合う事で初めて1つになれるのね。全部です全部。頭のてっぺんから足のつま先まで。目に見えるところから見えないところまで。そうすると魂がピタっと一つになってきます。
男女は肉体的にも一つになれるけれど、愛のために一つになると、魂レベルで一つになれるのね。カバラ的にはティファレト(美)の影響下にあるということ。
目に見える世界に囚われず、内側にある美で以て一つになるから、愛が流れるのですね。
いわゆるソウルメイトって言われる関係は、魂がピタッと一つにくっついてる状態。お互いを受け入れて愛し合っている。でもそれって、すごく精妙なバランスの上で成り立つことなのです。
常識は通用しないし、前例を見ない形で二人が一つになっていくことも。他の人には真似できない、型にはまらないパートナーシップになっていくのですね。
だから、周りを見て真似しようとしたって、絶対に到達できない愛の形が成り立っていきます。それは、お互いが自分の内側を徹底的に見つめて、自分の信じた道を進むからですね。
すべてを愛さない関係って?
ネツァクから見てみる
例えばネツァクは命を吹き込むっていうことで、セックスと関わりが出てくるのだけれど、お互いに満たされるためにしているのか、それとも知的好奇心を処理する自分本位なものなのか。
愛のためにするのなら、満たすことになるのですが、自分本位な性欲処理となると愛はどこかに行っちゃいます。
それから、異性への苦手意識や抵抗がある場合、自分の中に愛を留めてしまって、人に流したり受け入れたり、ということが難しくなってしまいますので、もっともっと自分を癒して愛する時間をとってあげること。
苦手意識があったり、自分本位な性欲があること自体はNGではないんです。それを見ないようにフタをしてしまうのがNGなだけで。自分を受け入れて愛していくと、自分と他人の間でも愛が流れるように変化・変容していくのですね。
ホドから見てみる
ネツァクと反対側のホド=パートナーシップに関する法則から見てみると、否定も強制もしないこと。愛の流れる空間をしっかり確保すること。
例えば個人的な好き嫌いを超えて、自分の視点や見方だけに頼らずに、事実を見ていけるかどうかがポイントになるかな。
好き嫌いの価値観や世界観って、どんなものを持っていてもいいけれど、それを人に押し付けようとした途端にバランスが崩れてしまう。特にパートナーになる人とは、すごく近い距離で過ごすことになるから、押し付けようとしたら反動もキツイはず。
もちろん、反動があるからこそ、相手と自分をもっと深く知ることが出来るのはすごく良いことね。パートナーシップって、究極的には自分を深く見つめることになるから。
恋人は自分と同じような価値観を持っている人がいい、っていうケースも赤信号かも。自分と同じ人は、この世に一人としていないのだから。必ず自分と違う価値観を持っている人と巡り合うことになる。そこで、違う意見とぶつかり合わずに、交流できるから愛が流れるのだね。
満足のいくパートナーシップを築けていないのなら、癒しが必要なところがあるということなので、DNAアクティベーションやキングソロモンヒーリングで根本的な癒しの時間をとりましょう。
恋人と一緒にいる大きな意味
人と人が一緒にいるっていうことには、すごく大きな意味があると思う。自分一人では生み出せないもの、受け取れないものが必ずあるから。男は女がいないとやってけないし、女も男がいないとやってけない。※男と女は、生物学的な性に限ったことではなくて、性質のこと。
生物として男か女に囚われた意見を持った途端に、ネツァクとホドのバランスは崩れちゃう。男だから家事をしないとか。男だから支払いをするとか決めつけたり。女だからおしとやかにとか、女だから可愛くしようとか。そういう価値観を持っていると、運命のパートナーはなかなか現れない。
一人の人の中に、男っぽい面と女っぽい面の両方があっていいし、外見の男・女で決めつけちゃいけない。ただ、だからと言ってずっと中性でいようとしてもいけない。
その時その時で、必ずどっちかの性質が出てくる。中性で突き通そうとすると、何も動きがなくなって、何のクリエイションも生まれなくなってしまう。これはこれでひとり身になっちゃうかな。中性ってすごくたくさんの可能性があるけれど、何も現実にはならないのだ。それはちょっと寂しいと思う。
男性・女性・中性を常に揺れ動いているのが人間だし、それが自然なんだからそれでいい。例えば怒りは外向的で男性的な性質だし、悲しみは内向的で女性的、静寂は中性的。誰もが人間として持っている”性”だと思うのね。
感情が動かない人なんていないのだから、みんな揺れ動いているのだ。それを否定せずに受け入れる事が、本来の自分が一体どんな人なのかが見えてくるカギになると思う。
自分を否定すると見えないもの
自分を否定してばかりじゃ、目に見える事の後追いばかりになってしまう。今の現実を作り出したのは、本当の自分じゃないのだから、それじゃいつまでも本当の自分に気付けない。
だって、性格は親や今まで影響されてきた人に似ているだけのことが多いし、思考パターンはSNSや教育で入って来た知識がベースになっている。それって自分が本来選んだものとは関係ないのかもしれない。多分、日常生活に流されて、その中をフワフワと漂っているんだと思う。
これが、本当のパートナーシップが築かれない仕組み。運命の人を遠ざけている原因になってる。本当の自分で生きていないと、いつまでもソウルメイトになる人に巡り合えずに、どれだけ世間的に良い人と一緒にいたとしても心が叫ぶと思うのね。このままじゃいけない!って。
聖なる結婚を生み出すための崩壊:The TOWER
だから、27番目のパスに割り当てられたタロットはTOWERになってるのだね。今ある自分の世界観(=タワー)を一度ご破算にして、新たなタワーを作り上げていく。塔のてっぺんにある王冠が吹き飛ばされてるけど、いま建てた塔じゃ、その王冠が載るのに相応しくないということなのね。
美しい花を誇りの被ったお花器に挿してても、花は生えないから、お花器を吹いたり代えたりするのと同じね。今まで維持してきた日常というタワーがぶち壊されたとき、金字塔が打ち建てられるのだ。
まさに言葉通り、金字塔って「不滅の業績を讃えるもの」とされてるけれど、パートナーシップも全く同じ。相手の永遠不滅のスピリットを愛する準備が出来た象徴になるのね。肉体や外面的なステータスで結びつくのじゃなく、スピリットとしてお互いに認め合い結びつける人が、運命の人を引き寄せられるのだ。
これはパートナーがいる/いないとか、結婚してる/してないとか、年齢とか性別とか、そういうマルクト的な現実になっている状況とは全然関係なくて、一人一人の内側で起こせること。
エネルギーは必ず、原因と結果の法則にのっとって上から下に流れていって現象化するから、今の現実は全然関係なく変えていける。現実ってインパクトが強いから、ついついそれに合わせてしまいそうになるけれど、自分の本質をしっかり目を覚まして見つめる必要があると思うのね。
パートナーがいつできるか?なんて気にしなくても良いの。気になるけどね。。。準備が出来れば絶対に出来るんだから。そこは心配するところじゃあ無いのだ。
人は人。人を気にしても何も変わらない
周りを見たらさ、結婚している人とか幸せそうに二人で写真をSNSに上げてる人とかがいてさ、羨ましいな~なんて思ったりすると思うのね。でも、そんな人もSNSを離れたら殺伐な関係かもしれないし、人のことは放っておけばいい。幸せなパートナーシップを掴む手伝いをしてくれる訳でもないのだから。
人のことを気にせず、自分自身の内側に目が行くようになったら、それはホドが十分に輝いてるってことだと思う。ホド(栄光)は宇宙の法則への知識を司る訳だけれど、内側が変われば外側が変わるのは、永遠普遍に働いている宇宙の原理なのだから。
外側からは変えられなくて、内側から変わっていくのね。
それは誰かがインスタ映えしようと、してなかろうと、変えられないこと。自分がインスタ映えしてなくても、リア充してなくても、変わらず永遠に働き続けてる。だから人の事なんて気にせず、自分の道を進めばいいのね。むしろそこにしか答えがない。
愛に条件はない.条件は崩していこう
周りの事や相手のステータスを見て気持ちがブレるときは、ホドに乗り越える課題があるんだと思う。相手が結婚してるから愛せないとか。相手が同性だからどうしようとか。相手と40歳も年が離れてるとか。
そういう条件って、愛に関係ないのだよ。そういう概念は崩壊していくものだと思う。きっと、条件に囚われた恋愛/パートナーシップをしていると、心が窮屈になってくると思う。条件に縛らないで!って愛が叫んでいるのね。
ぶっきらぼうだけど、愛するのは自分の勝手なんだから。相手に何か見返りを求めていたら、それは愛じゃない。愛せば必ず愛は返ってくるのに、見返りを自分の望む形で求めるなんて変なことでしょう。
どんな形で愛が返ってくるかかは、天の神様の言う通りにしちゃえばいい。一人の人間の希望でどうこう出来ることじゃないんだから。相手の世界観を尊重して、相手と関わる周りの人の世界観も尊重して。それで、来たものは拒まず、ありがとう~って受け取ればいいのね。それで必ずうまく巡ってく。出会いも巡る。愛も巡る。
ちょっとうまくいかないように思えても、ブレないこと。相手と喧嘩したとか、ラインの返事が来ないとか。そういう現象化したことに囚われてちゃダメなのね。そうした途端にまた過去の日常的なルーティンに戻ってしまうから。大切なのは、目に見えない魂レベルで相手を愛すること。そしてすべてを委ねる事。
別に分かれたっていいと思うのね。気の合わない人だっているんだから。それが今起きるか、この先起きるかの違いでしょう。そんな時間を惜しむような関係は、永遠不滅のスピリットとの関係性として相応しくない。永遠の時の中で、過去も未来も気にせず、今という瞬間瞬間に相手を愛し続けること。それが聖なる結婚/パートナーシップで、必ず愛が手に入る秘訣。
これを信じられるかどうかは、ホドの強さが関わってくると思う。もちろん、信じる必要なんてなくてそうなっているんだけれど。無意識のうちに別の事を信じているから、正しい知識をを意識していくことは大切だと思う。思考(意識)は言動として現実化するから。
パートナーシップに正解はないけど間違いはある
パートナーシップに間違いはあっても、万人に共通する絶対的な正解は無いのだ。いろ~んな愛の形があっていいし、それが自然なこと。
例えば、SMな関係性が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。言葉で責められるのに愛を感じる人もいれば、大嫌いな人もいる。
ある人が言葉責めに愛を感じたからって、それが万人共通のパートナーシップの正解にはならない。けれど、愛を感じる人にとっては間違いじゃない。愛し合っているんだから。間違ってなければそれで良いのだ。
聖なる結婚/パートナーシップは自分を知るところから
聖なるパートナーシップを結ぶには、まず本当の自分で生きる方向へ一歩、歩みを進める事。
人間が忘却の彼方に忘れ去ってしまった本当の自分のことを、聖なる自分と言ったりハイヤーセルフと言ったりするけれど、それを思い出すサイクルを始まるプログラムが、アデプトプログラムです。
ご希望の方のご連絡お待ちしてます*
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