最近、「○○したのは意味のある事だったのかな?」という言葉を人の口からよく聞くようになりました。
耳がその言葉をキャッチしているので、意味のあることと無いことについて、自分なりの考えをシェアしたいと思います。
大きな時間やお金をかけたことに対しては、やっぱり何かしらの結果が欲しくなります。長く付き合った人、大金をかけて通った学校、頑張って続けた仕事とか。
そのどれもが意味のある事なのだけれど、期待した結果が得られていないとガックリきて、意味のないことをしてしまった!と思っちゃうのですね。
どんな意味があるの?と言えば、新しい経験が出来たことに意味があると思っています。たとえ結果がガックリ来ることであっても、ワクワクすることであっても。
でも、ガックリ来ちゃうときはガックリすれば良いのですけれど、諦めてしまって希望も失ってガックリしちゃうのは、マズいと思うのです。
感情は湧き上がってくるから、嬉しいときは嬉しいし、悲しいときは悲しい。これは人間だからしょうがない事ですね。ロボットじゃないんだから、感情があって当たり前。
ただ、それと同時に、望みを実現する道筋がしっかりとあることは、忘れちゃいけない。
意味がなかったと思えても、心に留めておきたいこと
やってきたことが無駄だった、意味がなかったなんて思わないこと。これは思い一つで本当に変わってしまうから、本当に大切なこと。無駄だったと思えば、本当に無駄になる。無駄だったことに出来るんですね。タロットカードのソードの2のように目隠しをして、ポジティブとネガティブの選択を取れる可能性から目をそらして、諦めてしまうことも出来ます。
でも、目隠しを外せば?そこには選択肢があります。
どうやって現実を視るか(捉えるか)で、同じ現実でも違ったように見えてきます。違う人生を生きることが出来ます。パラレルワールドなんて言われますけれど、本当にそうです。目の前にある色んな可能性を、どれだけ視つけることができるでしょう・・・?
そこには、たくさんの意味があります。とても一言じゃ説明しきれません。だって一つの行動、一つの結果は、色々な現実に繋がる可能性をもっているから。
だから、意味がなかった、って思ったときは、目隠しを外してみること。自分で出来なきゃ、人に手伝ってもらって外してみる。
意味はあるけど、意味は持たせない
一つの出来事が、後々何に繋がるのかなんて、全然分からないのだから、目の前で巻き起こる現実に対して意味を持たせない方が、ずっと楽でいられのですね。
“色即是空、空即是色”
現実に対して意味という色を付ければ、それが空に還ることもありますし。何の意味もないと思ってた空っぽのことが、すごくインパクトの大きな結果に結ばれることもあります。
だから、そんな不安定なところに心の基盤を置くのは、あんまり良いことじゃないと思います。
何かにぶら下がって、それを心の拠り所にするのは、安定しているようで実は安定していないのですね。
ひと所に居着かず、雲のようにフワフワとしていれば、色んな意味が視えてきます。でも、現実に意味を持たせようとはせずに、色々と視る事。
意味があったのか無かったのか、ということに拘らなければ、辛くはなくなってきます。喜びのある一瞬一瞬を生きられると思うのです。
この記事へのコメントはありません。