日本人の持つ美意識を知りたくて、森神逍遥氏の『侘び然び幽玄のこころ─西洋哲学を超える上位意識』を読んでいると、侘びと寂びがすごく稀有なものだということが伝わってきます。
というのも、世俗にいながらも、世俗と縁のないものを表現することで伝わるものだろうから。正反対のものを表現するって、なかなか難しいこと。
身近なところにある世俗と隔絶された美は、絶景かな。
絶景には死の匂いが漂ってきます。人間の力では絶対に太刀打ちできない圧倒的な大自然の力は、すごく畏れ多い。
自分がこの地球の中でいかにチッポケな存在かを感じて、小さな我はピューっと消えてしまいます。
そこで初めて美を感じられると思うんですね。
その領域に入ることで、やっと本来の自分と向き合い始めると。
絶景に美を見出せるということは、その絶景の中に自分が持ってる美しさが映し出されているということ。
美しいというと、容姿や服装などに目が向きがちで。世俗的な価値観がつきまとうけれど、本来はすべての人に美しさが備わっている。それが人間の本質ですね。
美はカバラでいうところの第6セフィラー:テイファレトですけれど、どんな仕事をしていても。性別やジェンダーが何でも。あらゆる状況において、美を見出すことは出来るはずです。
▽カバラについてはこちら
それが本当のことであって、〇〇が無いと出来ない、なんて事はないのですね。
例えば、トムフォードのリップがないと綺麗な唇をかけない、という事はないんです笑
その人が表現しようとしているかどうかは、きっと感じ取られます。
だって、秋の紅葉した景色じゃないと絶景じゃないんです、とはならないですから。
春夏秋冬、どの季節でも絶景にはその時時の美しさがあります。
人間も同じで、経済状況や健康状態によらず、その時時の美しさがあります。
どんな時でも美しくあれたら、それはとても幸せだと思います。
ひろのぶ
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