ヒロノブです。
孤独で寂しくて愛されたい時に読んで欲しいブログを書いていきます。
個人的な体験ですが、漠然と孤独で寂しいなあと思っていた時がありました。
愛されたいと思うのが恥ずかしくて孤独を選んでしまったり。
周りの人が愛されているのに自分だけ置いてけぼりな孤独があったり。
やりたいことが分からず、自分らしさを受け入れられない孤独だったり。
孤独感を忘れたいのに方法が分からなかったり。
そう思ってるうちに、誰も自分を手伝ってくれないし、気持ちを理解してくれないだろうし、だから本当の自己開示もしたくないと思うようになってきました。
そこで気づいたことをまとめました。
孤独から解放され愛されるプロセス
自分が「死んだら終わりの肉体じゃない」という形而上学の学びを深めていくうちに
欠乏感が孤独感と繋がっていることが分かってきました。
自分は《死んだら終わりの肉体》という想いが孤独を生み出していた
あなたがもし「自分は肉体だけで死んだら終わりの存在」だと思っていたとしたら…
物質的な成功に集中した人生を生きることになります。
収入はいくらあるか。
結婚しているか。
容姿端麗か。
こういったステータスを比較して優劣を感じていきます。
しかも、優越感があってもいつ転落するか分かりません。
安心できず、欠乏感が生まれます。
でも実際には、僕たちは死んだら電源が切れて全てが終わる肉体だけの存在じゃないです。
本当は永遠で限りの無い存在です。これを受け入れて生き始めると、自然と孤独感が消えていきました。
例えば無限の存在として自由に欲求を表現してなかったら…
・欲しい物
僕はクリスマスプレゼントに「何が欲しい?」と聞かれたら、本当に欲しいものと似ている一番安いモノを答えてしまうような子どもでした。
それは「お金がない」という親の言い分を鵜呑みにして、本当に欲しいものを我慢していたからでした。
本来の純粋で自由な欲求を我慢しているうちに、欲しいものを考えるときに、欠乏感を感じるようになってしまいました。
・恋愛
恋愛でも「子どもっぽくて大人らしい人」と出会いたいとずっと言ってましたが、周りの友達からは「そんな人はいない」と否定されているうちに、妥協して色んな人と付き合ってみたものの、満足いくお付き合いが出来ないまま月日が経ちました。
・仕事
本当にやりたい仕事をやらずに、朝9時から夜23時まで働いていると、何のために生きているのか分からなったこともありましたし、夜になってご飯を食べていると訳もなく涙が流れることがありました。
そんな経験を経て気づいたこと
純粋な欲求を表現していないと、欠乏感が生まれ、恐怖心や無力感が湧いてくるという事でした。
どんどんと純粋な自分(死んだら終わりじゃない永遠の自分)を忘れていきます。
すると、純粋な自分が表現したいことを表現できなくなり、純粋な自分を見てもらえなくなり、孤独になっていきます。
孤独になるプロセスを受け入れ、純粋な自分を取り戻せたら。
孤独と寂しさから解放され、愛に満たされた人生へと瞬間的に変わっていきます。
純粋な自分を知って孤独から解放されよう
だけど、孤独には必ず終わりがきます。
永遠に続くことはあり得ません。
なぜなら、「自分は死んだら終わりの肉体である」ということが幻想なのと同じように、孤独があるということ自体も幻想だからです。
僕たちの生きる宇宙が無限であるように、人間もまた無限の存在です。
そう気づけた時、孤独や寂しさはなく、愛に包まれていきます。