瞑想を始めたのは2011年頃なのですけれど、瞑想を始めたころはなかなか瞑想に集中も出来ないですし、三日坊主で終わってしまいがちです。
神智学のアリスベイリーの本に、定期的な瞑想の必要性に気づく時が来る、なんて書いてあってカッコイイなあ、と思うものの、続かない。
でも、今ではもう瞑想を欠かすことはまず無くなりました。個人的な経験から、瞑想が続かない原因と継続する方法をシェアしたいと思います。
瞑想は修行じゃない
まず、瞑想は修行じゃないという考え方が大切でした。瞑想って座って何もしない時間ですし、映画やアニメで修行しているときに瞑想するシーンを見たりするので、いかにも修行しているような気分になる時があります。
でも、瞑想は修行というよりもリラックスする時間なのですね。
何で修行に感じるかというと、初めのころは何にも効果を感じないからです!期待しすぎなんでしょうね。
何で修行だと思ってしまうかというと、色んな情報が頭に入りすぎていると思います。瞑想をすれば頭が良くなるとか、潜在意識を使えるようになるとか。
どれも嘘じゃないんですけれど、よく考えてみると、護摩焚きをしてて熱いわけでもないですし、滝に打たれてるわけでもなくて、ただ座ってるだけなんです、瞑想って。
だから、修行や苦行と捉えるよりも、リラックスする時間と思ってからは、だいぶ瞑想への印象が変わりました。
これは、瞑想が出来る人と一緒に瞑想することで、「あ、本当に瞑想って修行じゃなくてリラックスなんだ」と思えるようになりました。
私たちのサロンでも瞑想会を開いていますので、機会があったらぜひ体験しに来てくださいね。
瞑想に効果を求め過ぎないこと
効果が得られないとヤーメタってすぐになっちゃうんですね。
今はすごく情報過多で、グーグル検索すればすぐに答えらしきものが得られるので、なんでもすぐに結果が出ないと我慢できませんでした。癖でしょうね。
本当に正しい情報はなかなか得ることが出来ないのですけれど、お手軽に簡単に説明しようと思うと、どうしても効能書きみたいなもので紹介することになります。
そうすると、1回でも瞑想すれば効果が得られる、とやっぱり期待してしまってた時期があったのですね。何回やればそうなりますか?いつ悟りますか?無の状態にいつなれますか?なんて、効能ばかりを求めてしまう。
そうやって思考が未来に向いているうちは、なかなか続けられませんでした。今を楽しむようになると、続くようになります。
特に瞑想は言葉ですべてを説明できないものだと思います。芸事と似ています。どれだけ言葉や画像で説明したって伝わらない部分があります。一緒に瞑想して、その人の瞑想がどんな状態で行われてるか見て、誘導していく中で、不必要なのに手に握りしめている概念や世界観がボロっと取れてほぐれていくことの方が多いです。
瞑想は何かを付け足すことよりも、まず捨てていくことから始めるので、あまり効果を求め過ぎると消耗してしまいます。考えすぎは良くないですね。
人間って、論理的に正しいことより感情的にポジティブになる方向に動く生き物だと思います。なので、頭で考えて、瞑想したらこうなる、と決めつけずに、瞑想してると楽しいぞ、って思う事がポイントでした。
楽な姿勢/体勢で行おう
瞑想を続けられなかった理由の一つは、体がゆがんでいたのか、じっと座っていると体が痛くなったことです。
あー腰が痛い。背中が痛い。股関節が。。。なんてね。
一番集中できたのは、新幹線の椅子でした。新幹線で瞑想をしたときにすごくよく瞑想出来て、それからいろいろと調べてみると車のシートは体に負担を掛けないようにできていると知って、レカロシートを買って瞑想しようかなあなんて思ってました。笑
けれど、そこまでする必要はないんです。今ある環境で十分に楽な姿勢を取って瞑想してみるのをおススメします。
壁に寄り掛かるでもいいですし、ソファでもいいです。時には正座したっていいです。寝ころぶのはちょっと上級者向けなので初めはやめておきましょう。寝ちゃいます笑。
正しい姿勢で正しく瞑想しよう、なんて思わないこと。
窮屈ですよ、正しいって。一体何が正しいんでしょう?教科書に書いてある事とか、よく目にするものが正しいんでしょうか?
正義の押し付け合いで、色んな問題が起きています。瞑想中に自分に正義を押し付けていた頃は、リラックスなんて出来っこありませんでした。
だから、楽な姿勢でまずは行いましょうね。ちょっとずつ、背骨を矯正したり、股関節を緩めたりすればいいんです。今できることをする。未来の自分にいきなりジャンプは出来ませんから、今の自分がスバラシイという楽観的なスタンスが良いと思います。
本格的に正しく瞑想しようとしない
やっぱり瞑想するなら、しっかりと静かな部屋で一人きりのベストコンディションで瞑想したくなりました。
奥さんが隣で朝の支度を始めると、頭がギーーってなることもありました。それからすごく瞑想に深く入っていった頃は、小さな物音が頭に響いてすごく嫌な思いをしたこともあります。
でも、それは一種の緊張状態。几帳面で完璧主義なところがあったんです。そうやって本格的に瞑想しようとせずに、良い加減にするのも今思えば大切だと思います。
完璧を求めようとしないこと。完璧っていうのもまた自分への正義の押し付けになってしまいます。価値観や常識の押し付けがあればあるほど、イライラしたり悲しくなったりします。
でもそういうものを持ち合わせていなければ、ある意味おバカでいられます。タロットカードの「愚者」のカードのように、落ちたら危ない切り立った崖の上にいても、平気でいられる不動心にも繋がります。
完璧な瞑想=高い効果=良い瞑想、という図式が出来上がっていると、それが崩れたときすごくメンタルが崩れて、感情的にブレます。
せっかく瞑想するのなら効果のあることをしたいと思いますけれど、それが回りまわって瞑想を自分から遠ざけていた時期もありました。
なので、本格的に瞑想しないのもポイントですね。
とはいえ、やっぱり早朝の瞑想が効果が高いことは変わりありません。こんなこと言うと、早朝以外に瞑想しない、なんて昔の自分は言い出すかもしれないけれど、それじゃ続きませんから気を付けないとイケマセンね。。。
うるさくてもやってみる
それから本格的な瞑想というと、音についてもこだわった時がありました。静かなところで、良い空気で。などなど。
でも、自宅の横で工事が始まるかもしれませんし、何が起きるかわかりませんよね。なので、ハウスミュージックやロック、ジャズを聞きながら瞑想することもありました。
結局のところ、24時間365日、瞑想状態でいるのが瞑想の目標地点です。座って静かに瞑想をする習慣は大切ですけれど、その目指すところはずーっと瞑想状態にいるところなのです。
ずーっと静かな日常なんてまずないですから、色んな状況で瞑想してみるのもありと思うのもポイントでした。
トイプードルと一緒に瞑想したときなんかは、プードルがずーっと舐めてくるんですよ。瞑想してたら自分の波動で犬も落ち着く、なんて綺麗な現実を期待してたのですけれど、そうでもなかったんです。救急車が通れば遠吠えをしたりして笑。滅茶苦茶な環境でも、瞑想って出来るんですね。
電車の中でも瞑想出来る?
満員電車でも出来るか、といえば出来ます。名古屋にいたころは時折やっていました。
けれど、人込みで目を閉じてリラックスするのは、危険なことが起きたときに無防備すぎるので今はやめています。
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という感じで、瞑想が続かない原因と継続する方法を、個人的な経験に基づいて書いてみました。
もし他にも続かない原因がありましたらぜひお教えください!対処法も加えていきたいと思います*