瞑想を楽しめない人が持つ4つの誤解
瞑想が楽しめない
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何を隠そう私も瞑想が楽しくなくて嫌いな時がありましたが、そこには大きな《誤解》があったのですね。

「瞑想ってこういうもの」という瞑想に関する印象が、自分の思考や行動を大きく制限してしまっていることもありました。

楽しくないと感じる根底にある誤解を紐解いていきたいと思います。

瞑想に力を入れすぎている

瞑想があまり好きになれなかった頃、瞑想するときは「よし!瞑想するぞ!」と気合を入れて瞑想をしていました。これがかえって瞑想をしづらいものにしていたのですね。

瞑想はマッサージやヘッドスパを受けたり温泉に浸かったりするのと同じで、リラックスする時間なのです。「うわ~、マッサージ行くの面倒くさいなぁ」って思わないはずなんですよね。休憩時間なので嬉しい時間です。

なんでそんなに気合を入れていたの?

でも、なんでそんなに気合を入れていたかというと、「瞑想は写真で見たりするように真っすぐと背筋を伸ばしてやるものだ」と思っていたのですが、姿勢を維持するのは自分にとっては難しかったのです。背中や腰を痛めたこともあったり、ずっと同じ姿勢で座っていること自体が苦行のようになってました。

出来ないことを無理してやろうとしていたので、最初から気合を入れる必要があったのです。

なので、そういった「瞑想ってこういうもの」という前提をまず取っ払って気軽にやりましょう。瞑想初めたての頃は、全身の力を抜くだけでも十分です。数分くらいかけて一つ一つ体の力を抜いてリラックスしていきます。

「それって瞑想してないじゃないじゃん」と思われるかもしれませんが、それが基本なので全然問題ありません。そうそう、瞑想に気合を入れていたころは、瞑想の基本をすっ飛ばしていました。まずは基本的なところから取り組むとよいと思います。

椅子に座ったり、瞑想するためにわざわざ場所を整えるのが億劫であったら、寝る直前や起きた直後にベッドや布団でやってもOKです。初めは寝転がったまま意識的に体の力を抜いていく、ということだってよいですよ。大体いつも力が入っているので、そうするだけでも気持ちいいと思います。眠りも深くなるかもしれません。

時間は長くても大丈夫。マッサージには60分コースとかありますので、同じように60分くらい力を抜いてぼーっとリラックスしていたって良いです。ただ、朝起きて仕事の前に行うときは二度寝に注意してください!

いきなり完璧な瞑想は難しいので、ゆっくりと楽しみながらレベルアップしていけばよいのです。

瞑想の時の姿勢が気になる場合は『瞑想の4つの姿勢と座り方【体の各部ポイント・体調別の工夫】』を読んでみてください。

雑念はダメなものだと思っている

「雑念ばかりで全然瞑想どころじゃない。。。」と、ガッカリして瞑想をやめてしまうことがありました。全然すっきりしなかったので、嫌になっちゃうんですね。でも、雑念は誰だって出てきます。

雑念がダメなのではなく、雑念がダメだと思うのがダメだったのです。《雑念があってもOKです。》瞑想をしないと雑念があることさえ気づかなかったのだから、気づけただけでも前進しています。

雑念を見つけた状態を例えて言うなら、汗をかいたまま服を着ていて、その匂いに慣れきってしまって気づかなかったけれど、人から指摘されて服を脱いで匂いを嗅いでみるとすごく臭かった!という状態です。雑念が出てきて瞑想が嫌になって瞑想をやめてしまうのは、服の臭さが嫌になって洗うのを辞めてしまうのと同じです。服が臭ければ洗えばよいのだから、雑念だって流していけばいいんです。

服を着てれば少しずつ臭くなるのは仕方ないですよね。頭を使えば雑念が溜まっていくのも仕方ないことです。いつも五感から情報を頭に取り入れて頑張っている証拠ですから、お掃除してあげればよいのです。

瞑想に期待しすぎている

「瞑想をすれば自分がすごい人になれる」と思っている人は少ないかもしれませんが、僕は思っていました。すごく賢くなれるんじゃないかなーと期待したり、サイキック能力が開花されるかもと期待したり、もう何も経済的に困ることはなくなるかもと期待したり。

他の誰よりも、瞑想にあらゆることを期待していたかもしれません。でもそれが全くといっていいほど意味のないことでした。期待していたものは、今の自分の頭で想像できる何かを期待していて、そこに自分らしさは欠片もなかったのです。

じゃあ何が自分の頭の中に入っていたかというと、”雑念”です!

雑念の正体とはなんだ!?

ではその頭に詰まっていた雑念とはいったい何なのかといえば、誰かがこうしたほうがいい、ああしたほうがいいと言った固定概念のこと。そんなことで頭が一杯になっていたものですから、

自分自身のことなんて、これっぽっちも考えていなかったのです。

これには後から気づいて本当にびっくり。ずーっと人が言った意見を自分だと思っていたのです。「あら~、ひろ君は頭がよいわね。学校でも優秀な点数を取ってえらい~」なんて褒められると、もうそれが自分だと錯覚してしまう。社会に出ては取り組む仕事に違和感があっても淡々とこなしていたほうが評価される。

時々なんだか自分が自分じゃないような気がする時がありましたが、こういう理由からだったのです。誰かが言ったことを鵜呑みにして、その範囲の中で考えて「ああこれが自分だ」なんて思っていたのですね。これは自分にだけ起きていることじゃなくて、自分を評価する人も同じように人の意見で頭の中が一杯になっていました。

学校の教育制度が染みついて優秀な人になろうとしていたり、親が言ったことに気を使っていたり、自己啓発の成功本だったり、お金持ちが言うことだったり。雑念を溜めることはできますが、一番肝心な自分自身になかなか気づけない連鎖の中で考えて生きていたのです。

でも、当時の自分に「あなたもこの連鎖の中にいますよ」なんて言葉を投げかけたら、「いや、自分は自分で決めている」と言い張ったと思います。でも実際のところは自分でそうなっていることに気づけないだけで、頭の中は自分以外のことに影響された雑念で埋め尽くされていました。そこから抜け出せたのは、アデプトプログラムを通じて自分自身を知る道に入ったからだと思います。

なので、思い切って瞑想に対する期待を捨ててみることが大切だと思います。

瞑想の目的はただ単にリラックスと気楽に構えていたほうが丁度良いです*

独学で瞑想しようとしている

今はインターネットや書籍から瞑想の方法を調べることができますけれど、やはり独学よりは瞑想が出来る人と一緒に瞑想をした方が良いです。僕が「あぁ、これが瞑想なのか」とつかんだのは、瞑想の出来る人と一緒に瞑想をしていた時でした。

瞑想が出来る人の周りには、独特のエネルギーが構築されていますので、その感覚を持ち帰って自分でも瞑想に取り組めます。夫婦でしているサロンでも瞑想会は開催していますので、そちらにお越しいただいてもよいですし、東京にいらっしゃらない方はメールなりツイッターなり、問い合わせいただければご紹介もできます。

仕事でもそうですけれど、参考書を読んで業務にあたるより、よく出来る人と一緒に働いてその働きぶりを見た方が、独力で取り組むよりも早く上達できます。それと同じ仕組みです。

瞑想にも誤解のない正しい知識を

過去を振り返ってみて、瞑想に対してたくさん誤解していたなあ、と感じています。

回り道をしてみて分かったこともありますが、この記事を読んでくださった方は回り道をすることなく、瞑想の効果を手にしていただけたら嬉しいです*