“受け入れる”とは何をする事なのか
受け入れるってどういうこと?
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「受け入れる」という言葉はスピリチュアル的キーワードとしてよく使われる一方、捉え方によってはどんな見方もできて、ちょっとふわっとした言葉になっている印象があります。

言葉の持つ意味を深めて、受け入れるって一体何をする事なのかを言語化していきたいと思います。

“すべて”を受け入れるのがポイント

受け入れようという言葉を聞いて起こりがちなのは、部分的に物事を受け入れようとすること。これが落とし穴だと思います。

一部だけ受け入れただけでは、本当に受け入れたとは言えないので、丸っと全部受け入れるのが肝心なところ。

例えば嫌な現実に直面した時。そこに慣れるのと受け入れるのは別物。慣れは諦めに近いのです。”嫌な仕事もまあ楽しめるようになってきた”というのもそう。だって、本当はもっと他にやりたい事があるはずなのだから。

嫌だと思うことも、本当はもっと違うことをしたいと思うことも、すべて自分の想いとして丸っと認めてしまうのが、受け入れるということ。

何をしたいか分からない?

もっと違うことをしたくて、今の現実が気に入らないことは分かったとして、じゃあ何をしたいかというと分からないから動きようがない。

という板挟み状態になっている人は少なくありません。しかしそれでも何かを求める自分の欲求を無視せず認めてあげることで、その正体の輪郭は少しずつハッキリとしてきます。

多くの人は日常に忙しくて、本当の自分の気持ちを受け入れる”心と頭の隙間”が無いのです。でも、瞑想したりDNAアクティベーションを受けて隙間ができると、アデプトでお伝えする四大元素に則って、何をしたいのか明確にする流れが生まれます。

欲求が明確になる四大元素の流れ

四大元素(火地風水)でいうと、何だか分からないけれどやりたいことがある気がする、というのが火の元素。インスピレーションの部分。

それが何なのかを理解するのが風の元素。理解したものを現実にするプランを練るのが水。実際に現実化する行動を起こすのか地です。

丸っと受け入れられている時、実は四大元素もバランス良く働いていますが、日常生活を何気なく送っているとバランスは崩れがちです。

火に偏れば現実を顧みない夢想家になり、風に偏れば理屈っぽくなり、水に偏れば優柔不断になり、地に偏れば現実に合わせるばかりで自分の意志が薄れてしまいます。

バランスの崩れは偏りや癖を生み出し、物事の全体像を見つめる余裕をなくなります。枝葉に目が行くようになり、一部の現実だけを受け入れるようになっていきます。

四大元素のバランスはアデプトで伝えているリチュアルを行ったり、DNAアクティベーションで調整できます。

受け入れることの具体例

私の経験ですが、2018年末に愛猫とのお別れがありました。ここでは話尽くせない色んな喜びの時を一緒に過ごした存在が急に居なくなるのは悲しいことですが、もう逝ってしまったことは現実として受け入れる必要があります。

折に触れて、ああ寝るときは一緒に布団に登ってきたなあ、帰ったときに迎えてくれたなあ、外出する時は脱走を企てていたなあ、と思い出します。それはもうあり得ない事なのに、まだ生きているかのような錯覚が生まれます。

この現実を受け入れたからといって、悲しみが無くなる訳では無いのです。受け入れたら何でもかんでもハッピーになる訳では無いのです。

幸せだけを受け入れようとする選択肢を絞り込む心は、硬直した脆くて壊れやすいものになります。反対に、すべてを受け入れた心は、柔軟で壊れにくい強いものになります。

悲しいときは悲しむ。人間なのですから感情があって当然です。いつまでも悲しみに暮れているのも不自然ですが。

その他の具体例

では恋愛や夫婦で、パートナーと喧嘩をしたらどうしたら良いでしょう?

相手の言い分を受け入れる?いやいや、自分の思いも受け入れる必要があります。相手と自分の言い分のどちらも受け入れるには、まずは自分が自分を受け入れることが必要になります。すべて自分から始まるのです。

どうしてケンカをしたの?相手のしたことに怒りが込み上げてきた本当の理由は何?どうして怒らないといけなかったの?

現実に現れる出来事は、自分の心や頭の反映です。ヘルメス科学では「内側がそうであるように、外側もそうである」と言われます。外側に起こる出来事の原因は、自分の内側にあるのです。

その真の原因を突き止めるには、自分を受け入れること。特に弱い自分を突き放さないこと。怒りは、自分の価値観を否定するような受け入れられない出来事が起きた結果です。

価値観という箱の中に収まっていては、自分が自分らしくあることは難しいでしょう。怒りは、小さな箱に収まろうとする自分を解放するための本能的な感情とも受け取れます。

多くの恋人たちが出会いと別れを繰り返す中、すべてを受け入れることを体現すると、自分にとって完璧なパートナーが現れるようになります。運命の人と言われる存在です。

やられっぱなしはNG

自分が傷つく言葉を言われたとき、相手のなすがままになるのは、受け入れることとは違います。

相手に言葉を発する自由があることを受け入れる一方で、自分には嫌なことから身を引くくなど対処する自由があることを受け入れている事も大切。

失敗も受け入れよう

「成功した自分を受け入れます」、というような宣言分をどこかで見たのですが、この宣言がパワーを持つのは「失敗した自分も受け入れます」と宣言した時。

成功は失敗なくしてあり得ないので当たり前のことではあるのですが、いざスピリチュアルが絡むと常識を忘れてしまいがちです。

成功と失敗は、目標に向かって取り組んだ結果であり、そのどちらも受け入れられていると、取り組むこと自体が楽しくなります。なのできっといつか上手く行くでしょう。

けれどもし、失敗を受け入れられないとしたら、考え方が不自然になっているかもしれません。

成功を望むのなら、失敗も受け入れることが大切です。なんでも反対の性質のものを受け入れることがポイントになるのですね。

まとめ

すべてを完全に受け入れられる日は、遠い遠い先のことかもしれませんが、今この瞬間に受け入れるべきことを、一つ一つ丁寧に丸っと受け入れていくことは、今すぐに始められることです。

受け入れがある度に小さな箱に閉じ込められた自分が解放され、もっともっと自分らしくなっていき、人生が活き活きしたものに変わっていくのだと思います。