アデプト後のストーリー(受講後の数年)
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アデプトプログラムを受ける前と後の自分(ひろのぶ)の変化を、過去を思い出した折にこの記事に手を入れています。

なかなか自分自身の変化は気づきずらいものですが、日記として記録に残すことで、それをなるべく明確に分かるようにしておきたいと思います。

アデプトが気になっている方や、アデプトを受けた後の自分自身の身の振り方が気になっている方の役に立てたらうれしいです。

アデプトを受けた時の自分の人生

2019年1月5日、2011年2月27,28日に京都の祇園四条に構えたサロン「光」で受けたアデプトプログラムを振り返っています。

さて、どういう縁でスピリチュアルを深めたかというと、僕の場合は脳科学でした。大学生のころに受験勉強に励んでいて、何とか効率よく勉強できないかと思って、脳科学について調べていたのです。2009年ごろでしょうか。

アマゾンで本を探していると、購入履歴や閲覧履歴から「あなたにお勧め」として、スピリチュアルな本「プレアデスのXXX」といったタイトルの本を見つけ、なんとなく惹かれてその本を読むようになりました。

当時はmixiが流行っていたので、mixiのスピリチュアルなコミュニティに入ってネット上で情報に触れていたところ、hikariさんとも友達となり、「アデプトプログラム」を知っていますか、とメッセージをもらいました。

当然知りませんので、興味のあった自分は何でもいいので誘われたら受けに行くと決めていたので、受けに行きました。

その頃の動機は今思っても、すごく、しょうもないものです笑

超能力がほしかったのですね。気を操って人を直したり。何かサイキック能力を発揮したかったのです。というのも、身近にそういう力の発達した人がいたので、自分もそうなれるならなりたいな、と思ってたのです。

実際に受けてみて、話を聞いて、二日経って思ったことは、「な~んだ。知ってることばっかりだった」ということ。だけどもう京都になんか行く機会は無いかもしれない、と思っていたので、アデプトと一緒に受けるとよいお勧めのメニューを事前に聞いてヒーリングを受けました。

それがDNAアクティベーションだったのですが、これはとても気持ちがよく、もっと長く受けていたいと思うくらいでした。

反対に、本音を言うと当時の自分にとって、アデプトプログラムは先生から話を聞くようで退屈だったのですね。

そう、先生が嫌いだったのです。高校生の頃に先生から怒りを1時間ほどぶつけられたことや、理解できない話をするのが嫌いな理由でした。理解できないから退屈ですし、眠くなる。

アデプトプログラムの中では、リチュアルというスピリチュアルなエネルギーを扱う所作をした後に、「どう感じる?」と聞かれることが多く、そんな初めてのことをしたのだから、分かるわけないだろうという思いから、退屈な気分が沸き上がってきたのだと思う。

学校教育に慣れ親しんだ自分の頭には、知識至上主義が念頭にあって、どこかに客観的な答えがあってそれを当てられる人が偉い、という考えが強くありました。全然そんなことないのですけれど。

当時は「良い感じ・良くできてる」というようなことを言われて、うれしい気持ちが半分あるものの、「なんだ正解じゃないのか」とガッカリする気持ちが半分でした。

学校という社会に関係のない場所にいながら、すでに自分らしさを失う常識が出来上がっていたのですね。超能力ですごくなりたい、という気持ちも、人よりも偉くなりたい、という気持ちの表れでした。

でも、アデプトプログラム中の不思議な空気感、DNAアクティベーションの心地よさに、どこか心を惹かれていきます。

それは、光さんの言葉や人柄に惹かれたわけではなく、その場にあった”何か”に惹かれていたのです。

アデプト後、物質的な人生からスピリチュアル・ライフへのシフト

それはまるで子供の頃、どんなことでも楽しく遊べていたかのようです。

大人が全く価値を見出さないようなことの中にも、喜びを感じます。

物の大き方、色、形、夜に咲く花、音の出るもの…。

五感のすべてを使って喜びが見出されてきました。

  • 耳から聞こえてくるポジティブな喜び。
  • 鼻から香ってくるポジティブな喜び。
  • 手や肌で触れるポジティブな喜び。
  • 目で見えてくるポジティブな喜び。
  • 舌で味わうポジティブな喜び。

今までの人生で隠れていたスピリチュアルな側面が次々に立ち現われてきました。

スピリチュアルな世間ではこれをアセンションと呼ぶ方もいるかもしれません。

専門用語を使うと小難しく感じますが、実際はシンプルです!

それまでは、「お金があるからこうしよう」、「誰かが成功していたから自分も真似してみよう」という思考で生きる、非常に物質的な生き方をしていました。

それが、「心から表現したいものを現象化していく」というスピリチュアルな生き方にシフトしたのです!

スピリチュアル・ライフは物質的な生き方と前提が全く異なり、ずっと楽しいのです。

スピリチュアル・ライフは、自分が永遠のスピリットとして生きる選択する人生。内面の豊かさを育み、喜びを分かち合っていきます。

一方で物質的な生き方は、自分が死をもって終わる有限な存在として生きる選択をする人生。物に価値を起いた、拝金主義的で競争する人生です。

アデプトを受けた僕が選んだのは、スピリチュアル・ライフです!

そこに喜びがあり、喜びの中で行き、喜びで人と繋がる人生です。

永遠性を基盤にした人生では、苦しみは薄れていくでしょう。

永遠なら生まれることもなければ死ぬこともありません。

肉体という大切な乗り物はいつか終りを迎えるかもしれませんが、スピリットである自分という本質は永遠不滅で完全です。

すると、やることは楽しいことに目が向いてしまうのです。

何を創ろう?何をしよう?

有限な生き方は失敗を恐れるかもしれません。

しかし永遠だとしたら、失敗なんて怖くありません。

失敗も一つの経験となり、大切な宝となるでしょう。

だって、いつか自分が望んでいたものは成就するのですから。

喜びに満ちた人生=アデプト・ライフ

アデプトとは、「達人」という意味。

人生をマスターした先にあるもの、それは喜びに満ちた人生です!

お金で判断されるものでもなく、結婚しているかで判断されるものでもなく、喜びがある人生です!!

そのために必要なものがあれば、必要な物は与えられるでしょう。

宇宙のパワー、天のパワーは私たちを味方するでしょう。

なぜって、そういう生き方は宇宙と同じ意志で生きる生き方だから。

言葉でこれ以上説明するのは難しいかもしれません。

もしアデプトについて質問がありましたら、いつでも気軽にメールで問い合わせて下さい。

僕で良ければ相談に載らせていただきます。

最後に。

アデプトとは、一言で言えば「喜び!」

喜びが私たちの人生に溢れますように!!!

ひろのぶが、2011年にアデプトを受けてからの変化を赤裸々に語りたいと思います。

アデプトってどんなもの?と疑問に思っている方に、一つの参考をご紹介できましたら幸いです。

楽しみにしていたアデプト。本来の自分に戻る偉大なプロセスが始まると同時に、エゴとの闘いが始まるとは想像もしていませんでした。

アデプト・プログラム2日間はあっと言う間という感想でした。

何を話していたのか、今思い返すと覚えていません。だいぶ前のことですから、当たり前かもしれませんが。

けれど、はっきりと覚えているのは、場に結界を張る方法を教えてもらったところ。

一緒に所作を行い、何度も繰り返したのを覚えています。

見えない世界と、見えている世界がはっきりとリンクされた初めての瞬間でした。

しかし、エネルギーにはまだ鈍感な自分。

感じているつもりでもその頃は100分の1程度しか感じていなかったのも事実です。

他にも、自分自身のオーラをプロテクトする方法も教わり、何度も練習しました。

まるで『魔術師マーリン』のよう。

オーラにプロテクションをした後は、いつも疲れてしまう満員電車も、疲れずに過ごすことが出来ました。

とにかく濃い2日間。

そこでスピリチュアルの全てを学んだと言っても過言ではありません。

学んだスピリチュアルな叡智は、この数百年かそこらのうちに出来たものではなく、古代から脈々と受け継がれてきた叡智だったのです。

古代の偉人・賢人が形而上学として学び人生に適用してきた、いつまでも廃れることのない叡智は、今もなお活き活きと脈動していることを感じます。

アデプト後、スピリチュアルな学びの道に入る

その後、もともと興味のあったスピリチュアルな学びの道に入っていくことになるのですが、驚くことに学ぶことの全てが既にアデプトで教わっていたことなのです。

しかし、現実は一つの次元ではなく多次元的に出来ています。

1つの物事には様々な側面があり、アデプトを受けた時にその多様な側面に気付くことはできませんでした。

アデプト後はアデプトで学んだことを多次元的に感得する学びが始まったのです。

一番衝撃的な物としては、「自我」との格闘でした。

あるいは「エゴ・執着・性格」と言ってもよいかもしれません。

これらが自分の人生を円滑に進まないようにし、人間関係・仕事・恋愛においていかに重要な役割を果たしているのか気づいていきます。

そしてその一つ一つに気付き、解放することで、本来の自分が見えてきたのです。

アデプト後、一番初めに向き合ったエゴは「知識至上主義」でした。

それまでの自分は、物事を知っている人が偉い、勉強が出来る人が偉いと思っていたのですが、それが大間違いだったことを思い知らされます。

始まった「知識至上主義」エゴとの闘い。

小学校、中学校、高校、大学と教育学んできた固定概念が覆りました。

答えとなるたった1つの正解だけが正しいという考えが、本来は自由である自分のマインドを限定していたためにそれは起こったのです。

アデプト以降、知識至上主義の価値観では上手くいかない場面に直面する機会が多くなったのは、今までの自分の価値観が見えないところで変容していたためです。

その価値観とは「自分自身の中に答えがある」ということ。

知識至上主義は、たった1つだけの、自分の外側にある事柄を答えとします。

しかし、人生に成功を収めている人は、そのような柔軟性を欠いた錆びついた価値観の中では生きていませんでした。

答えは自分自身の中にあるということは、この世界にいるすべての人が多種多様な答えを持っているということです。

そのため、どれをとっても同じ正解はありません。

とても個性的であるがゆえに、時として自分にとって間違った考えのように見えることもありました。

壁にぶち当たる

最たる例が、企画創造やブログのライティング、ホームページを作る仕事をしていた時でした。

成功しようと思い、まずは上手くいっている人をモデリングします。

が、この時点で古い価値観が自分の視野を狭めていました。

上手くいっているようい見える人の中に、幾人か論理的にわかりづらい言葉を話す人がいて、その人は実は人から理解されず、仕事が上手くいかないと思っていたのです。

頑固なものですね。今思うと指し伸ばされた手を掴まないのですから、救いようがありません笑。

逆に、論理的に整然として全うなことを話す人の言うことは理解できたので、仕事が上手くいっていると思いました。

しかし、現実はそう上手くいきません。

まだ上手くいっていないのに、自分の狭いマインドで理解できる範囲に留まったところで、本当にうまくいく方法を理解できるはずがなかったのです。

一見すると乱雑な言葉を使い、整理された思考を持ち合わせていないように見えて、仕事では大成功を収めている人がいるのが現実だったのです。

明らかに今までの価値観が通用しない

そんな状況に苛立ちや焦りを覚えました。

自分は決めた期日(年末)までに売り上げを立てなければならない。

けれど「あの人は間違っている。自分のこの正当な方法が正しいに違いない。」、そう信じ込んでこだわっていた自分は苦しみました。

目の前の現実を見るたびに、自分が間違っていることの証明が積み重なったのです。

人をジャッジするたびに、即座に自分は過小な存在としてジャッジされ、窮屈な小さい箱に閉じ込められるというカルマが帰ってきたのです。

自信家だったためか心が折れはしないまでも、全然上手くいかないことを心の底から実感し怖れました。

周りが上手くいくのに、自分は上手くいっていない。

なんとか追いつこうと前にも増して頑張るも、状況は微動だにせず、冷酷な現実を見せつけられたのです。

Thuý Dươngさん(@tcrazzyt)が投稿した写真

学校では上手くいっていた。出来る子だった。

けれど、どうあがいても上手くいかない。

それもそのはず。

アデプトで潜在的に変化した価値観のシフトを、顕在意識ではまだ気付けておらず、古い価値観にしがみついているのですから。

そして自ら望むかのように、暗く寒い冬の時代へと突き進んでいったのです。。。

学校ではできる子だったのに、上手くいかない現実を見せ付けられるも、どうしようもない自分。

結果を出そうとする努力も虚しく、ゼロを積み上げて行きました。

そこである大きなきっかけが起きます。

自分の仕事をプロデュースしてくれていた人が、冤罪で捕まったのです。

様々なアドバイスをくれ、温かく見守ってくれていたくれていた人が、捕まってしまった。

衝撃が走ります。

思い返すとこの時が一番堪えました。

良いことをしていたのに、捕まってしまう。

この社会の仕組みは一体どうなっているのだろう。

なぜまた自分にこんなことが?!

世の中に疑問を投げかけることになる出来事でした。

この事件を機に、しばらく頑張らずに大人しく過ごす決断をしました。

それまでの自分の生活は、朝起きて、食事を忘れて仕事に没頭し、気づけば日が落ちているということも。

熱中できてそうした日々は楽しかったのですが、やはり心の声も体の声も無視していました。

心機一転して、リラックスする時間をたっぷりとることに。

今まで取れていなかった旅行の時間、夫婦の時間を大切に過ごしました。

会社に入って働くという選択もし、1日の過ごし方も一変したのです。

社員と同じような生活をするうちに、人がどんな想いで生活しているのかに気づきます。

これが自分に圧倒的に足りていないものでした。

人の話を聞いて理解することはできますが、その体験までリアルにイメージすることはできませんでした。

しかし、実際に社員のように働き、そこで感じる不満や悩みをありありと感じました。

すると、今までになかった新たな気づきの光が、流れ込んできたのです。

会社にいることで、様々な人の悩みを聞く一方、一人一人に秘められた可能性の大きさに圧倒されます。

本人はまだ気づいていないかもしれない、本質的な可能性がキラキラと輝いて見えるのです。

まさにダイヤの原石で、すべての人が宝石のように輝いて見えました。

全ての人に希望の種が植えられていました。

その種を自分の中にも見出すことになります。

真のスピリチュアリストとしての人生

この時期、毎月定期的に「ラー・タロット」を受け、改善を図っていました。

今でも覚えているカードは「魔術師」のカード。どんなことがあろうと「魔術師」の性質をもって人生を輝かせていくことを心の奥底で知ったのです。

有名な魔術師アレイスター・クロウリーはこう言いました。

全ての意図的な行為は「魔術的行為」である。

「魔術師」としての人生とは、意図的な意思を以て生きるということ。

真のスピリチュアリストとしての人生です。

この頃から意志・意図の重みを感じ取るようになります。

自分の本当の意志は何なのか?

自分の本質(スピリット)は何を望み、今の自分の宇宙との関係はどうなっているのか?

これを明らかにする意図をもってスピリチュアルな訓練と瞑想を重ねていくうちに、今までの自分がどれだけ本質的であったか。スピリットとして生きてきたのかが明らかになってきます。

時としては悲劇的だと感じた事すべてが、ポジティブな出来事に転換されていきます・・・。

意図をもって極性が働き、負のモノが0に戻り、正のモノへと振り子振れてゆくのを体感します。

אליאלさん(@elielcorona)が投稿した写真

生きている意味を悟る

なぜ生きているのか?という疑問が浮かびます。

人間がこの世から去る時には黄泉の門を守る門番がいて、すべての荷物を置いていくように言われます。

あちらの世界には物質的なものは何一つ持っていくことが出来ないのです。

ということは、私たちは真の意味で何かを所有することなどできません。

人間には何も無いのです。

そう、無(む)です。

しかし無であるがゆえに、すべての有・可能性を持つことが出来ます。

自分に所有物は何もない。だったら、何にこだわる必要もない。

私は誰なのか・・・?

私は無。0。全て・・・。

だとしたら、生きる意味とは?

光!愛!喜び!

全ての良いものが自分の本質であり、その状態を守りこの人生という有限の時間を体験することが生きる意味だと悟りました。

そして縁ある人と一緒に、そうした人生を送ることがどれだけ素晴らしいことなのか、と思いが巡ります。

神聖な幾何学が自分に語り掛け始めます・・・。六芒星の意味。人の本質。

そして五芒星であり、七芒星である自分。。。

自分の心のカップが無から来る無限の光で満たされ始め、人に奉仕していく準備が整ってきました。