全ては完全で完璧にうまくいっている?
全ては完全で完璧にうまくいっている?
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「すべて完全に完璧にうまくいっている」と、巷のスピリチュアルでは耳にすることがあるのだけれど、そこにちょっとした違和感を感じています。

何事も上手く行ってほしいところだけれど、本当のところ、そうは上手くいかないですよね。

人生、良い時もあれば、良くないときもあります。

「すべては完璧」といった言葉に隠された意味を紐解いていきたいと思います。

積み上げてきた努力が報われたと感じる時もあれば、意味もない作業をしてきたことに愕然と絶望することもあります。

そんな時、自分を励ますために「大丈夫、全ては完璧。うまく行っている」と言ったとしても、目の前の現実をなんとかしたいのが本音でしょう。

本当に必要なのは、その場の心を落ち着けるオマジナイではなく、目を逸らさず現実を変えていくことです。毘沙門天や不動明王が持っているように、自分を貫く強さが必要にもなるでしょう。

どうやったら現実を変えるほど強くなるのか?

矛盾しているようだけれど、それは、本当に完璧で完全だということに立ち返ることだと思います。

どういうことかと言うと。

例えば何かがうまく行っていないとき。

コミュニケーションでトラブルがあったり、仕事がうまく回らなかったり。

そういう時に、何かが不足していて、どこか劣っていて、不完全な状態だという思いが頭をよぎる時もあるはずです。

そうでなかったら、あえて「すべては完璧で上手くいっている」という必要はないのですね。

すべては完璧で上手くいっているのなら、敢えてそのことを言葉にしたり、意識する必要はないからです。

ここに、強さが揺らぐ隙があります。

何をもって完璧としているか

コミュニケーションのトラブルや、仕事の不調など、現実に起きている目に見えることだけを見て、自分の価値を決めてしまう判断が、間違っていると思うのです。

人はステータスによらず、生きているだけで素晴らしい。

いえ、もう亡くなった方も素晴らしく、これから生まれてくる命も素晴らしいです。

「生命は素晴らしい」、という根本的に重要なことがあると思います。

大切なのは、不足していること、不完全なことをカバーしようとするのではなく、生命の素晴らしさや完全性を基盤とすること。

諦めずにいろんなチャレンジをし続けること。

だって、現実だけを見てたら、疲れ切ってしまいますよ。「あぁ、いつになったら上手く行くんだろう。どうやったら上手く行くんだろう。」

そんなことばかり考えていると、上手く行く運も逃げてしまいます。

目に見える事だけに囚われている時って、上手く行かないと分かったことを、上手く行って欲しいと願いながら何回も続けているものです。ちょっと矛盾していますね。

でもこれが「すべては完璧で上手くいっている」という”呪文”と似ていると思うのです。

宇宙には「原因と結果の法則」が働いています。同じ原因からは同じ結果が生まれるのです。

上手くいかないと明らかになったことを続けたら、どれだけ祈っても、同じ結果が生まれます。

上手くいかないと思ったのなら、何かを変える必要があるサインが送られているということなのですね。

目に見える事だけに囚われないように、結果に一喜一憂せず、色んな形での自己表現を楽しむこと。そこをスタート地点にして、意図に結びつく行動をいくつも試してみること。

意図が実現する/しない、ということをベースに自分の思考・感情・行動を動かすコダワリは完全性とは離れるということを受け止め、ただただ意図に現実を結び付け続けていくということ。

それが「すべては完璧で上手くいっている」状態なのだと思います。

蜃気楼を見抜いて完璧・完全に!

「全てうまく行く」という言葉には、蜃気楼のように移り変わるこの世の流れの一部に、自分を組み込んでしまう不完全さと、

不安や心配を取り去ってくれるような雰囲気がするけれど、実はその渦の中に入り込んでしまうような気配がしたので、考えをまとめて文字に起こしてみました。

渦から抜け出して、「本当に完全だ!」と思えるようになるには、人生の基盤を少しずつ入れ替えていくことがその第一歩かと思います。

言葉や概念では完全だと言っているけど、実際には不完全だということは多々あります。

そのギャップを乗り越え、言葉通り完全な状態になっていくために、サロンで開催しているアデプトプログラムでは、その基盤の入れ替えをスタートさせています。

目の前の現実に一喜一憂せず、初志貫徹。

無理せずやるべき事をやり抜く強さが、私達の人生にいつもあったらなあと思います。