どうして僕はヒーリングをするのだろう?
ヒーラーを目指しているという人と会って、思ったことをシェアしたいと思います。
ヒーリングに意味なんてない
なぜ、ヒーラーという仕事を選び、ヒーリングを人にしているのか。
改めてその意味を瞑想してみると、そこに意味なんてないことに気づきました。
それは、ヒーリングに効果が無いという事ではなく、ヒーリングに一定の価値や意味が見当たらないということ。
そこに意味を決めてしまうと、ヒーリングというエネルギーの動きに縛りを持たせることになってしまう。
いくらでもヒーリングは形を変えるし、効果も変える。
クリスタルを使うものもあるし、手を使うものもあれば、声を使うものもある。それぞれ効果はその時に違う。
だから、ヒーリングの意味は変幻自在。
だから、ヒーリングに意味を持たせられない。
そう思います。
それなのに、なんでヒーリングをするのか?
ヒーリングをする原因
何かをするということは、そこに何かを自分が求めているということ。
行動の裏には、かならず思考と意志が流れている。
人にヒーリングをする意味は無いけれど、したいと思う原因ならある。
それは、癒しを求める心、だった。
慈悲、という言葉を使うとむつかしく感じるので、癒しという言葉を使った。
癒しを求めて、癒しを手に入れると、自然とそれを表現したくなってしまう。
その表現方法の1つとして、ヒーラーという仕事を選んだ。
そう言える。
自分を癒す
それから、もちろん自分も癒したい。
癒しは大好きだ。
癒しが欲しいなら誰かから与えて貰えばいい。
そう思われるかもしれない。
けれど、自分は自分でしか癒すことができない。
自分しか、自分に癒しを与えられない。
ヒーラーとして活動してきた中で、この気づき(知識として頭でわかるのでなく、気づくこと)が、ヒーリングの質が変わる分岐点だと思う。
自分は誰?
人は集合意識を持っている。
自分という意識が集合して、私たちという集合意識が出来上がる。
自分が落ち込んだ時はもちろん癒されたい。
慈悲を感じたい。
集合意識の癒し
それと同じように、「私たち」の1人を担う「自分」が傷ついた時、その他の自分も同時に傷つき、癒しを求める。
その時に傷ついた人を癒せる人は、もちろん癒されている人だ。
自分を癒すということは、人を癒すことに繋がる。
集合意識を癒し、さらなる喜びを招く。
たった1つの角度から物事を見ただけだけれど、こういう働きをするのがヒーラーであり、その仕事が自分は好きなのだと思う。